「どうしてこの活動してるんですか?」という問いへの答え②

(まえおき)
 路上の医療相談会に参加させていただくようになって少し経って、この頃は相談会にボランティアや見学者として来る学生と会う機会が増えてきた。
 殆どの学生から尋ねられるのは、「どうしてこういう活動をされてるんですか?」という質問。
 その時々で頭に浮かぶままに話すので答える内容も少し違うと思うけれど、今日は今日の気分で書いてみる。
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 前回、経済的困窮による医療アクセスの障害について問題意識を喚起させられたきっかけについて書いた。
 
 その1年か2年後、私にとって衝撃的な書籍が世に出た。近藤克則医師の『健康格差社会』だ。
 このころの私は、生物医学的な要素以外のことによる健康への影響、殊に社会経済的に不利な状況が生み出す健康問題について関心を抱くようになっていた。(後にそれは「健康の社会的決定要因(SDH:Social Determinants of Health)」という概念であることを知る。)学生同士の学びのテーマとして国民健康保険の資格者証について扱ったり、困窮世帯への訪問看護に同行したり、困窮世帯が多く住まう団地から病院までの道のりを高齢者体験キットを装備して移動するという体験学習を行ったりしていた。
 そんな中で『健康格差社会』が発刊された。しかも幸運なことに、著者・近藤克則医師にインタビューさせて頂く機会を得た。高揚感をもって読み進めた。関心を持ち始めた社会経済的要因による健康問題について、圧倒的なデータをもって提示されていた。読者を誘う読み物としても秀逸だった。経済困窮に向き合うことが、単に政治的志向性の問題ではなく医学的な課題であることを、様々なデータをもって示していた。これによって私自身の中に芽生えていた問題意識が医師という専門職に必要な視点であることが示されたようで、励まされ、自信をつけられたように思う。近藤克則医師に実際にお会いした際には、学生時代に何を体感して何を学んでいったのか(大学の正規の教育以外について)、そこから今の研究に至る過程などについてお話いただき、どちらかというと学外での学びに楽しみを感じていた自身の行動も後押し頂いたような感覚を得た。社会に接続した生きた学びは当時の大学の中には無かった。
 その後、ソーシャル・キャピタルについても多少の理解を深め、まちづくり、コミュニティ形成について関心を抱くようになる。路傍の花壇を見たり、散歩途中で腰を下ろして語らう高齢者の姿を見たりしては、そうした街のあり方にケアを感じるようになった。自分の眼に映る景色がこれまでと違う意味をもつようになり、そこに自身がどう関われるか、自分の存在を重ねて考えるようになった。そういうことを口にするようになると、ケアのまちづくりを目指す病院スタッフ(殆どは事務系だった)から関心を持たれて何度となく語らうようになった。この地域をどう変えていくか、そこに自分自身を重ね合わせながら考えるようになっていた。大学時代を過ごした土地は、それまで何の縁もない土地だった。物価が安くて生活できそうで、割と入学試験に受かりやすいという理由で選んだだけだった。医師免許を取得する目的のためだけにやってきた土地だったけれど、気づけばその土地で自分がどうやって地域のケアに関わるのかということを妄想するようになっていた。
 自然と、医師の働き方とは医療機関の中にいるのみではないものとして認識するようになっていた。これも今につながる大事な経緯だったと思う。

1月の滝子山にて